▓▓が画面に映るたび、人々の指先はスマホのスクリーンに吸い寄せられる。「裏切り者」「最低な人間だ」。コメント欄には怒りと憎しみの言葉が渦巻いている。芸能人の不倫報道が出るたびに繰り返されるこの光景。しかし、その騒ぎの根底には、実は別の目的が潜んでいるのかもしれない。
なぜ人々は芸能人の不倫を叩くのだろう?この問いに対しこう考えるのはいささかやりすぎだろうか―人を叩くこと自体が目的である、と。つまり、実際はその不倫内容の良し悪しなどどうでも良くて、叩くという目的が元々存在しているとしたら…。不倫騒動というのは、ただその目的を果たすための「ちょうどいい標的」に過ぎないのかもしれない。誰もが納得できる「悪者」が明らかになった瞬間、集団で攻撃することが許される。それが正義だと信じる人もいれば、ただ叩く快感を味わいたいだけの人もいる。その背後には、コミュニティで生きる人間が持つ、ある種の本能が隠れているのではないだろうか。
人間は、群れで生きる生物だ。社会の一員として、他者を批判することで自らの位置を確認し、安心感を得るという仕組みがある。誰かを叩くことで、自分が「正しい側」にいることを感じ、その一瞬の優越感が心を満たす。だから、ネット上での攻撃は止まらない。それは、社会の秩序を保つために進化してきた本能の名残であり、現代ではその矛先が「叩きやすい」有名人に向けられている。
一方で、その炎上騒ぎの殆どは本質的な問題とは全く関係ない個人同士の主張争いに過ぎない。「この俳優はどうしようもない」と言う者もいれば、「それでも人権がある」と反論する者もいる。互いに感情をぶつけ合うことで議論はどんどん過激になり、問題の核心はいつしか置き去りにされていく。右も左も、”自分が正しい”の押し付け合いだ。
私は、そんな騒ぎを目の当たりにしながら考えた。「本当に叩きたいのは、その人の不倫なのだろうか?」と。もしかすると、私たちは自分自身の不安や不満を、他者を攻撃することで解消しようとしているのかもしれない。その標的が、たまたま芸能人の不倫だったというだけで。
私ははそっとスマホを置き、自分自身に問いかけた。「本当にその人を叩くことで、自分は幸せになれるのだろうか?」
私たちは、不満を外に向けて吐き出すことで一時的に自分を満たそうとしているが、結局それでは根本的な問題は解決しない。人を攻撃することで得られる満足感が本当に私たちの心を癒すものなのか、それを今一度考えるべきなのかもしれない。
私が言いたいこと、いや、私が私自身に言い聞かせたいことはこうだ。「次に誰かを批判する前に、その背後にある自分自身の不安や欠落に目を向けること。やるべきことは、人を批判することじゃない。人を理解しようと努めることだ。」


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